揺らめく日々を生きる

もう一度、世界と触れ直す。

家族写真を撮りましょう。

家族写真を撮りませんか、と母親に相談したのは今日の出勤ルートの間のことだ。

前々から、撮りたいな、とは思っていたのだけれど、めんどうかな、とか思ってしまって、億劫になっていた。

けれど、今回、誕生日にかこつけて、母にその旨を伝えてみてしまった。

理由はわからない。急に想いが溢れることって、割とあると思う。今回もそういう感じ。

ふわっとした心持ちのまま吹っ切ってしまう。

 

 

ずっと撮りたかったのは、母方の祖母を考えたからである。祖母は祖父がボケて施設へ入った後ひとり暮らしをしている。田舎の大家族に生まれ、祖父と東京へ出て家族を作った祖母にとって、一人暮らしは初めてのこと。毎日毎日、もう無理だわあ、さみしいもの、とこぼしているらしい。リビングには、10年くらい前にお正月で孫が全員集まった時の写真が飾られている。あれを見ると元気でるのよ、なんてフフッと笑う祖母の姿は、愛おしくもあり、バツが悪い様な気もした。

 

それに、去年の暮れに父方の祖母が亡くなり、家族の死を身近に感じる様になった。だからこそ、祖母の遺影になる様な素敵な写真も欲しい。これは、ただの二の次ではあるが。

 

母に相談すると、かなり乗り気で検討をしてくれる様だった。どこまで呼ぼうか、施設のおじいちゃんもどうにか入れたいよね、いつがいいかなあ?もうどちらかというと熱が私より入っているのは母の方だ。たぶんきっと、今年中に私たちは写真を撮るだろう。

 

 

撮りたくなかった理由は、やっぱり、めんどくさいからではないな、とここまできて思った。

私は、遺影になりそうな写真を撮るのが、嫌だったのだ。何にも理由がないのに写真を撮るなんて、まるで伝えてるみたいじゃないか。

貴方もうすぐ死ぬかもしれないでしょ、って。

どこかでそうは思っていても、伝える様なことしたくないじゃないか。

 

 

結局、私の誕生日という理由づけで撮ることにした。何にもない日に撮るよりかは、幾分かマシだろう。それに、私のワガママなのは代わりないのだ。

 

よくよく考えると祖母のリビングの写真をアップデートするよりも、遺影の写真を撮るよりも。

今の、にっこり笑う顔が愛らしい、祖母の顔を手元に置いておきたい。

ただの純粋なワガママで構成された、誕生日のお願いなのであった。