アガパンサスの季節に迎えられて。
アガパンサスの美しい時期が今年もやってきた。日本名、紫君子蘭。紫から青の色味を花壇に添える、すらっと涼しげな花である。
名前がどうにもおしゃれなもので、ギリシャ語の愛であるagapeと花を意味するanthosの組み合わせでできた名前なのだとか。
愛の花。涼しげな見た目と裏腹に、なんとも情熱的な名前ではないか。
去年のこの季節は、一人暮らしを始めてひと段落ついたあたりである。
4月から始まった一人暮らしに日々ぐったりとしながらどうにか生きてきた。そして、ようやく街中を散策しよう、氏神様にご挨拶しよう!と思い立ったのが2ヶ月後の6月の終わり頃だったのである。
私の実家の氏神様は、住宅街の中にポツリと建つ少し狭い神社だった。もちろん周囲と比べれば土地は広いのだが、神社として見るとやはり手狭である。そして住宅街の中に突如現れる木立と古めかしい鳥居は、どこか浮いていて、なんだかちぐはぐな雰囲気を醸し出していたのであった。まあ、そこも住めば愛おしいと思えていたのでよかったけれど。
はじめて来た新しい氏神様の住処は、古色然とした、私の思い描く神社そのままを写したかのような場所だった。その時の驚きを今も思い出せる。少し小高い丘の上、鬱蒼とした緑を貫くように石畳の階段を登れば、左右には色とりどりの紫陽花が隙間なく咲き誇るのが見える。そうしてその奥に見えてくるのは、風格ある本殿で、その軒下では猫が闊歩する。
まさに、これこそ神社。
関東のひなびた街なのに、まるでここだけ古都のよう。
ここに引っ越して来て、よかったな。
と、しみじみ思った。割と苦い子供時代を残す地元を出て、親元を離れて。
自由に生きれることができるようになったこの時期に、この街に居られることは、幸せなことのように思えた。
二礼二拍一礼の後には自己紹介。
信心深い方ではないが、そこに神がいるというのなら。しかもそれが私がお世話になる方なのだとしたら、背筋も自然と伸びて丁寧になるものである。
柏谷脩夏です。こちらでお世話になります、何卒よろしくお願いいたします。
そうしてちゃっかり、健やかに生きれますように、と付け加えてご挨拶は終了した。
そのあとは猫と10分ほどじゃれていた。
神社の飼い猫らしく、境内を自由に歩くその猫たちは、どうやら人より位が高いようである。
私を値踏みするように見ては、あくびをして視線をそらされてしまった。一応、迎い入れられたとカウントしていいだろうか。敵意はなさそうだし。君たち絶対ただの猫ではないな?と疑いつつ私は神社を後にする。帰り道は裏の参道を通ることにしよう。
私は今もこの時の様子を心の中で思い描ける。
木々の合間から溢れる夕暮れの柔らかな日差しは、どこまでも心地よくて。そして、参道を囲むように咲き誇るのは、青い、青い、アガパンサス。囁く声のように薄らかに吹く風に揺れるアガパンサスたちは、小動物がお辞儀をしているかのよう。
神社なのに、アガペーなんていいのかな?なんて笑いつつ、私は、その美しさにため息をつく。
ああ、私、ここに引っ越して来てよかった、と心から思った。そうして、勝手にこう思ったのだ。
愛の花が咲き誇るこの道は、きっと、私がこの街に向かい入れられた証拠なんじゃない?
なーんて。
アガパンサスの美しい時期が今年もやって来た。
私の胸に今も広がるあのアガパンサスの参道は、今日もあの日のように咲き誇っているのだろうか。
あの時と同じく、日々に疲れている私だけれど、ちょっとだけ。ちょっとだけ頑張って外へお出かけするのも悪くないかな、と今は思う。
だっていつだって、世界のどこかは、私を迎え入れてくれるんだって、あのアガパンサスたちに教えてもらったから。